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おしまい(フジオ)


フジオモラル破局公演全ステージ終了しました。



僕が犬と串を退団するとモラルに伝えたのが3月のおわり。

思いもよらなかった未来にいるなあと、そこから7ヶ月ばかり経った今思います。


「破局公演」ってなんだよという哲学的な問いをする暇もなく、ただただ必死に準備して、必死に本番を終えました。



SNSで観劇の感想を読むと、「モラルからフジオへのエール」という感想をいくつか見つけました。「ああ、そうなのか」と改めて思いました。モラルの真意は聞いていないのでわかりませんが、僕としては俄然「フジオからモラルへのエール100%」で作っていました。いや、観てくださったお客様の感想は自由です。いずれにせよラブレターを交換しあうような稽古の果てに仕上がった作品が「アンチカンポー・オペレーション」なのかと思います。(あ、作品から愛情を受け取ってないとかそういう意味ではなく、エールに関して。)


気持ち悪いですね。


しょうがないんです。このブログの日誌にも書きましたが、モラルの脚本は壮大なラブレターです。僕の最後の出演となった犬と串「ピクチャー・オブ・レジスタンス」の僕の台詞に「何かを好きだとか、嫌いだって言うことは、とても苦しいことだと思うんです」という台詞がありました。好きな台詞です。そんな苦しいことに向き合って書かれた言葉から、僕なりにモラルの痛みと愛情を追体験して、エールとして、作品をつくることを通して返事を書くような日々でした。



愛するということ、愛してしまったこと、時に暴力的にもなりうる愛情というものを、出し惜しみせず、恥ずかしいはずのそれを、演劇という魔法を通して見せてくれたモラルに心から敬意を表します。勇敢な男です。愛情のダムの放流のような作品でした。恐れることを知らない人に勇敢という言葉は似合わない。すくみあがってしまうような恐怖の上で踏み出す一歩にドラマがあって、モラルという男の勇気とまっすぐさに、僕はとても敵わないと常々思っています。



モラルの勇気を、自分の体や心の根っこから体験できた日々に感謝しています。

あと、彼の言葉を体の奥の方から実感をもって届けることに関して、僕は謎の自信を持っています。なんでなんでしょう。思えばいつからか、稽古場以外でも彼の「痛み」に向き合い始めたことがきっかけだったのか、はじまりはわかりません。僕は、現状、モラルの言葉を地球上で一番生々しく届けられる役者という自負があります。それがおごりだろうがなんだろうが構いません。僕はそう思っています。



これで破局公演は終わります。


犬と串が早稲田を卒業するときに上演した「宇宙Remix」のような、希望と決意、覚悟、夢が溢れた作品を上演することができました。あの時、巨大なオムライスに刺した旗のような、大きな見えない旗をフジオとモラルの分岐点に根深く刺すことができた、そんな感覚があります。今後、互いにこの分岐点を振り返る必要もないだろうと思っていますが、確かに刺さったという感覚が背後にあることは忘れないのだろうと思います。



客観性なんてなにもない、すこし(いわゆる)エモいブログになってしまいましたが、モラルのラブレターへの返信としてこの場をお借りしました。


僕はこの作品を前から見たかったです。悔しい。

悔しいので、いつかモラルがつくるめちゃめちゃおもしろい演劇を客席から眺められることを期待しています。その時に、「地球上でモラルの言葉が一番似合う役者」の称号を奪う役者が現れていることも期待しています。きっと現れるでしょう。



ご来場くださったお客様ありがとうございました。

満席の劇場でこの公演ができてしあわせでした。


キャスト・スタッフ、座組のみなさま、本当にありがとうございました。

感謝しても仕切れない最高の座組でした。




これから、僕もモラルも別々の道を歩きますが、どうか暖かく見守っていただければ幸いです。僕の今後の仕事は、モラルが追いつけないような速度で容赦なくバリバリ面白い舞台に立ち続けることです。そのためにはまだまだ精進せにゃあなあ。がんばりますほんと。





さいごに、あらためて





モラルありがとね


まあ、今生の別れでもなんでもないけど、また飲もう




藤尾勘太郎








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