まもなくオーディション締め切りです。
ご応募くださったたくさんの方々、本当にありがとうございます!
迷っている方!お急ぎください!!!
どうでもいいけど、このタイトル付近にある「誰が書いたかを変更できる機能」。「モラル」って書いてあるところ、これをうまく変更できない。そう、つまり僕は藤尾です。
キャスト発表ありましたね。
素敵なメンバー。
鈴木アメリの登板もなかなか、古い付き合いですから、おもしろいですね。
モラルが「アメリとの沈黙の何年間かについて、すべて稽古場の舞台の上で語り合うつもりだ」というようなことを、SNSでも前回のブログでも言っていて、おー!かっけえなあー!!とか僕は思いました。いやあの、ちゃかしてないですよ?
話はさかのぼり、この企画が動き出す時に、モラルに、「俺とお前は、作品をつくることでつながりあってきたんだから、最後にもう一本おもしろいのつくろうや」という旨のことを言われたんですね。その時はまだ僕がごねていたタイミングだったので(ブログ参照)、僕は確かきっと、「むううーーんん」みたいな曖昧な返事をしていたと思うんですが、それはさておき、「作品をとおしてつながる」ってなんだかかっこいいなあ、とか、ひとごとみたいに思っていました。僕なんていうか、そういうことに疎いんですね。「そんなかっこいいことしてたかなあ?でも、モラルがそうだと思ってくれているということは、そうなってるってことか、なら、いいか!きっとそうなのだ」とか思っていました。
で、それからしばらくしても「そうか、作品づくりをとおして僕たちは会話してきたのか、そうか」みたいなことを、自転車をこぐ時とか、Suicaのカードをチャージする時とかにぼんやり考えたりしてまして、なるほどその言葉で定義したことはなかったけど、それはそうかもなあ、とだんだん腑に落ちてきたところでございます。
わかってなくても、やっていたこともあれば、わかっているのにできないこともある。不思議ですね。
10年間ともに作品をつくりながら、演劇論の話をしたことはほぼないというか、創作の場以外で演劇の話をしたことがあるのか、まったくといっていいほど記憶にありません。作品が「1」でも生まれる前に「こんな「100」の芝居作りたいね」とか話した記憶もありません。僕はわりと演劇の話をするのは好きなんですが、モラルはどうなんでしょうね。いかんせん、2人でいる時にそんな話をしないものですから、よそのモラルは知りません。(なんだよこの感じ、恋人かよ!)かといって、「じゃあ今回は、オフの時間もずっと演劇の話しようねモラル」とか微塵も思いません。
役者はどうしたって、作家の思考や生き様を後追いすることになります。モラルという人が殊にたくさんつまった役を演じる時など、準備の半分は「モラルという人は何を感じ、葛藤し、希望するのか」なんてことを役を通してひたすら想像するわけです。そこに僕自身をブレンドしていくわけです。で、そんな役が2回連続とかになると、いや、嬉しいんだけど、なんだよ!俺は!モラル研究家かよ!とか思ったりするわけです。そして、そんなモラル研究家からすると、稽古時間外も常にモラルを摂取するのは、モラルの過剰摂取になるわけです。医者から止められています。(果たして僕はその反動で、外部ではコメディに出ていないのか、それは関係ないのか、関係ないな。)
僕にとってそんな、なんども作品を通して混ざり合った作家・演出家は、いまのことろモラル以外いません。(1年後には体内のモラル欠乏で、コメディ作品ばかり好んで出演しだす可能性もありますね。なんの話だ。)
で、で、なにが言いたいかって、
そんなおもしろいシンクロ率の役者と劇作家の演劇、貴重なことだと思いますので、
しかも最後かもーなので
よかったら、その創作の現場にいらしてください。
つまり
オーディション締め切り間も無く!!!!!
これですよー。言いたかったことはー。
お待ちしてまーす。
藤尾勘太郎
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